ちょっと今日は飛び込んできたニュースのネタを。女優の清水富美加さんが芸能界を引退して宗教活動をやるそうな。ドラマのコウノドリ初回で未受診妊婦をやってた印象が強くて、この子の顔は覚えてたんですよね。
まあ、いろんな意見がありますけれど、仕事がしんどくなっちゃったんだなっていうのは伝わってきますね。仕事そのものがどうとか事務所がどうとかはおいといて、彼女にとって今仕事はツライことなのかなと。ツライ時に頼れるところ、身を寄せるところがあればそこに寄っていくのは、当然の流れであって、それがたまたま身近にあった宗教団体だったんだなぁというのが感想です。
宗教のことは良いも悪いもよくわかりません。少なくとも今の自分にはあんまり必要はないってだけ。それで生きるのがラクになるならいいんじゃないでしょうか。
ただ身を寄せたその場所が、願わくば良い場所であることをイチ一般人ながら願わずにいられません。また騒動が広がらなければいいなぁと思うわけです。なんかまだゴタゴタはしそうですもんね。
人は何かしらその人なりの信じるものがなくちゃ、しんどい色々は乗り越えられないんじゃないでしょうか。自分の中の拠り所というか軸になるものは絶対に誰にでも必要だと思うんです。家族や趣味や友達や、仕事そのものっていう人もいるのかな。
私も実は結婚後の不安定な時期に自己啓発セミナーっぽいものに傾きかけたことがあります。自分自身がグラグラしてたので、よりしっかりした確固たる拠り所が欲しかったのだと思います。
今はそこは必要なくなったけど、当時の自分にとってはそこそこの良い効果があったような気がします。でも長くずっといたいところではないかなと、セミナー中ですらうっすら感じていましたね。
日常生活がうまくいかなくてセミナーに行っているのに、セミナーそのものがやりたいことになるって、自分の感覚ではちょっと違和感。
やりたいことうまくできなくて、助け舟の為のセミナーやらカウンセリングやらでしょ?あれ、やりたいことはいいの?って思ってしまうんだな。
それをやっている時はやりがいがあって元気だから、もうそれでいいんだってことでしょうか。まるで飲み続けなければキープできない薬でダイエットしたような、何ともいいようのない違和感。もともと人助けをしたいっていう想いがある人だったら全然良いと思うのですが。
というわけで、宗教に頼りたい気持ちはわからんではないけれど、宗教家になって人を救いたいってのはちょっとわからんなっていうのが正直な気持ち。
頼れる家族や友達がいて、ツライ時に支えてもらう。元気になったら仕事や好きなことに打ち込むっていう生き方が私は理想です。
理想ではありますが、すごくすごくツライことがあったり、頼れるものがなくなったら、自分でもどうなるかわからないなぁ。
よく鬱は誰でもなりうる病気とか言われてますけど、何か特別なものにハマるってのも同じように言えると思います。
何が起こるかはわからないですが、少なくとも他所様に迷惑をかけないように生きよう。
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